いやしの道協会ブログ

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6月接心
20:00 随坐
20:30〜21:30 坐禅
21:30 茶礼
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この度は大阪よりはるばる石部先生が久々の接心参加。そしてもっとはるばる、なんとカナダはバンクーバーより高橋先生にお越しいただきました。

カナダの鍼灸事情

カナダで鍼灸師をするにはまず永住権を取得しなくてはならない。そして現在、カナダは香港からの移住者がとても多く政治的にもかなり力をつけてきている。行われている鍼灸もほぼ100%が中医学。だからカナダの鍼灸師の資格試験は英語と中国語でうけられる。治療に使われている鍼のメーカーは「セイリン」と「イトウ」が主流らしい。

そのほか、カナダでの自動車運転免許の取得事情、高橋先生が日本で鍼灸師になりその後、カナダにわたるまでのエピソードなど話していただき、楽しい時間はあっという間にすぎさりました。




5:00   開枕  
  |
5:30   読経 
  |
6:00   座禅(4柱) 
  |
8:00   粥座 
  |
8:15   休憩  
  |
9:15   作務




八郷6月の朝です。毎月撮っていると違いがわかります。




坐禅風景
(河原さんが5人稽古のため、空席があります。指導者目指してがんばれ!)

観風先生「蛙の声が聞こえなくてもいけない。聞き惚れてもいけない」



ギコギコ。


妙観先生「いえーい」 みんな「だから、あぶないって!」


カナダはバンクーバーのバックヤードでカミさんに鍛えられた、ほうき捌き。
耳を澄ますと小さな声で「レレレノレー」っていってました。



やっぱり作務が好き!



しばしの休憩。 初夏といえど、とっても暑かった。6月の作務。


サクランボ酸っぱ。



今日のお昼は〜

11:00〜 講話 「三種病人」

「さんしゅびょうにん」と読む。
出典は『碧巌録』88則より。
玄沙大師(835〜908)が大衆に向け説法をした。
「各地の御老師たちは、どんな人間がやってきても、ことごとく導いてやるぞといった自信たっぷりの様子であるが、この三種類の病人(盲・聾・唖)が目の前に現れたら、どのようにこれを導くであろうか。
 次のような話がある。
 修行僧が雲門老師に個人指導を受けた。師が「そなたよ礼拝せよ」というと、僧は礼拝し、起きあがるとすかさず師は柱杖を持ってドンと突いた。すると僧は思わず引き下がった。師は「そなたは盲目ではないな」という。
 師が「進み来たれ」というと僧は進み出た。師は「そなたは聾ではないな」という。
 師が「分かったか」というと、僧は「わかりません」と答えた。師は「そなたは唖ではないな」という。
 ここに至って僧は悟るところがあった。
 
 さて、僧は何を悟ったのであろうか?今回は導く側ではなく、教えを受ける、悟る側として考えてみよう。
 人は皆、この世に生まれ出てきた時は、どんな概念にも捕らわれていない、まっさらな状態である。しかし、成長する過程で読み書き、そろばんなどを始め、世の中で生きていくために必要な知恵を身につけていく。そのなかで、生まれてくるのが個々の価値観・概念である。しかし時としてこの価値観が生きていく上で、手かせ足かせとなり、不幸を生むことがある。「こんな事をしたら叱られるかも知れない。」「今までの経験から見ると、これは間違っている」「こんな人は嫌いだ」「丙午の女性とは結婚するな」これらの価値観・概念が邪魔をし、好機を逃していることが私たちの人生でどれだけあるだろうか?私たちを三種病人にたらしめるはこの価値観・概念に他ならない。

少しわかりにくいので、例の如く我らに身近な鍼灸で考えてみよう。私たちは、まず始めに鍼灸学校で、ツボの位置を習う。ものの本によると、○○病にはどこそこに何寸打てと言うようなことまで書いてある。目の前の患者を傷寒論に当てはめてみても、太陽病・少陽病などと証に即した人もいれば、その間に位置する人あり。合病あり・併病あり。本のとおりに治療してもうまくいかない人が山ほどいることに気がつく。つまり詰め込んだ知識と実践が一致しない。そうすると不安が生まれ、一鍼を下すにも迷いが生じてくる。これらを乗り越えて安心を得るのにはどうしたら良いか?
実際の臨床で、額に汗をかきながら治療をしていると、自然と手の内ができてきて、補写など考えなくても治ってしまうことを経験する。つまり概念を飛び越えて鍼と命のやりとりに行き着く。そこに安心が見いだせる。

この状態は意識的に目に見よう、耳で聞こう、口で話そうとしているのではなく、禅的言いえば、見ることなく見、聞くことなく聞き、話すことなく、話しているとなろうか。
『碧巌録』の評唱には「目に見えるも盲の如く相似たならばはじめてよく、玄沙大師の意とほとんど違わない」とある様だ。

このような体験がさらに禅的な悟りとなるためには、無が無心で只々、一鍼を業じることができるのは、「いったい何がそうさせているのか?」という大問題を解決しなければならない。「それは原始感覚だ」という者がいるが、原始感覚を働かしているものが何かを自覚する事が重要であり、真の悟りとなるためには、いわゆる真実の自己を自覚することで、絶対的安心と慈悲の発露を伴わなければならない。何とも大変なことか。

しかし、鍼一本立てることが、真の悟りに導かれる切っ掛けになることを知っておくことは重要であり、ありがたいことである。
若者よ。ハリ禅を熱心に油断無く行ぜよ!されば道は開かれるであろう。勉旋。勉旋。
 



お昼休み中。「愚かであることはすばらしい!」

皆さん石部先生の推薦図書、映画「おくりびと」の原作である「納棺夫(のうかんふ)日記」はもうお読みになりましたか?

T先生は本屋で注文するとき「官能婦(かんのうふ)日記」と言い間違えて官能小説コーナーに案内されました。ああはずかし〜



実技

29歳 男性
《主訴》 胸の詰まり。背部痛(大椎の左側。)
。鎖骨、胸骨の脇が痛む。 一昨日頭痛がした。
《いつから》半年間放置していてた。
《随伴症状》動機、食欲減。疲れると主訴増悪。
《舌》全体に潤、歯根あり。淡白 
《脈》やや浮

肉体的も精神的にも疲れているところへ、風邪を引いた。動機、鎖骨の痛みなどは表位から外位に邪が入ったため。病気のメカニズムで言うと外から内へ。このように治療する前にある程度イメージをもってなくてはうまく治療はできない。



熱を上から下へおろすため基本の型とは逆の順序で治療する。


風邪の引きたてで脈が純粋に浮いいて熱が強ければチュンチュン、もっとスピーディに打たなくてはならない。
今回の症状はベースに虚労があり、発熱もそんなにないため少しゆっくり目の散鍼でかまわない。
鎖骨の痛みはリンパに邪が入ったため、これと鼻の周りの邪、胸部の邪を捌き・・・


最後に引き鍼をする。遠位にある手と対側の足を動かしてもらうことにより気をとうりやすくする。


反省会
観風先生「一人一人の役割を精一杯務めるのも修行。送迎係、会計係、典坐、・・・そして日々の治療。すべて自分のためになる。
現在まで多くの門人が東北被災地で災害支援を行ってきたが、誰かのために行動したのでは、見返りを期待しどうしても偽善的になる。何事も自分のためにがんばる。それが結果として人のためになり喜ばれる。これを逆転して考えてはならない。」















| 八郷接心 | 06:08 | - | -
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